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<柳澤一博>第1回 抑制が醸し出す官能性
『ヴィスコンティを求めて』(東京学参刊) |
2006年は、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」や「ベニスに死す」を手掛けたイタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティの生誕100年、そして没後30年の年だった。時代を超えなお愛されるヴィスコンティ映画。その魅力とはいったい何か? 映画評論家で『ヴィスコンティを求めて』(東京学参刊)の著者、柳澤一博さんにお話を聞いた。
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「ヴィスコンティ作品は耽美主義的」と言われることもあるようですが、彼の視線には、対象に対して冷めていて、批判的なところがあります。監督自身が「美の世界」におぼれてしまうと、もっとドロドロとした作品になってしまいますが、ヴィスコンティには一種の様式美というか、抑制された美があると思います。
彼は同性愛を描く監督と言われていますが、どこまで描写をしたかというと、直接的なシーンは1つもありません。肩に触れたり(「家族の肖像」)、髪をそっとなでたり(「ベニスに死す」)する程度で、もっと踏み込んだ描写では、「ルートヴィヒ」で描かれた口づけぐらいではないでしょうか。それも、2人の顔と顔が重なり合う場面がシルエットで描写されていますから、直接的ではありません。ためらいと抑制、そこにストイシズムが感じられます。
「地獄に堕ちた勇者ども」のように、時として濃厚なデカダンス(退廃的な表現)が爆発することもあります。それでも、あからさまな、露悪趣味的な方向へは行かず、審美的、様式的なものを優先するのがヴィスコンティでした。
露骨な描写には、想像力というものが介入しません。「あ、相手の肩に手をおいたけど、この人は今どんな感情なんだろう?」「好意を持っているのかな?」、そんな想像力が働くからこそ、官能的な感覚が呼び覚まされるのではないでしょうか。
関連情報
| 「ヴィスコンティ生誕100年祭」 |
| 全国を移動して開催中。 |
| 2007年4月14日(土)〜26日(木) |
| 伊勢新富座(三重県伊勢市曽祢2−8−27 TEL 0596−28−2875) |
| 最新情報は公式サイトにて |





















