3杯目編 第2回

 このごろのお餅(その1) 丸餅・角餅の境界線はどこか

 新年です。酉年です。

 私は喪中なので「あけおめー」が言えないのだが、読者の皆さん、そしてときどきこのサイトからネタを持って行っておられる関係者の皆さんにとって2005年が良い年でありますよう。

 今回からこのごろのお餅をテーマに取り上げる。その前に前回予告した通り、昨年末に敢行された「都心部洞窟探検隊」の模様をデスクが報告する。三林京子隊長によるリポートは隊長のHPですでに公表されているが、デスクのものと併せてご覧いただければと思う。こんなどうでもいいことをリキ入れてやってるのはおれたちだけだぜ、という気がしないでもないが、あんまり考えないで生きていきたい。

 それから、いい機会なので三林さんを今後は隊長と呼ぶことにしたい。何の隊長かわからないが、ともかく隊長。隊員はすでにエミーがいる。隊長、エミー隊員の教育と訓練をよろしくお願いします。


デスクリポート
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 先週三林京子隊長とともに「都心部洞窟」こと新橋から有楽町にかけてのガード下を探訪して参りました。入社してからの8年を内幸町の日比谷シティで過ごした私にとって、この界隈は「夜のふるさと」とでも言いましょうか、思い出深い街並みです。

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 さて、有楽町のガード下くらい知っとるわい! という皆さんも多いかと思います。なぜ今回改めて「探検」したかというと、一杯飲み屋がひしめくその先に、まさに絶滅寸前といった感じの薄暗い洞窟があるのです。三林隊長が、それどこ? 行きたい! とおっしゃられたので今回、ご案内した次第です。

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 この洞窟は東京電力裏の新幸橋から帝国ホテル裏の山下橋まで、JRのガード下をコリドー街と並行して走っています。どちら側から見ても搬入口のようで一般の人は入るのをためらうような景色になっています。この日は新幸橋側から進入です。

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 入口はラーメン店とハイヤー駐車場の間です。一見、ハイヤー駐車場への「従業員通路」のように見えます。左右に黒塗りの高級車を眺めながら昼なお暗い路地を進むと、そこには「昭和」の風景が広がります。新聞配達の協同組合、電車や駅に広告を出す会社、町内会などの事務所が歴史を感じさせる扉、看板で並んでいます。そんな事務所の間にぽつぽつと飲食店もあるのです。

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 内幸町時代に通った中華の店はすでになく、跡地はビニールシートで覆われていました。ギョウザ美味しかったのに……。残ったお店はいずれもお天道様の下では溶けてしまうのではないか、と思わせるような風情を醸し出しています。なぜか店名がカタカナの日本そば屋、寿司屋、中華料理屋、韓国料理屋などが並びます。

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 大阪から参加してくださった栗猫さんが大家はJR東海であることを発見。そうです、この路地はJR東日本つまりは在来線のガードと東海道新幹線のガードの間を走っているのです。もしかしたら新幹線ができる前は明るい陽光がさんさんと降り注ぐ路地だったのでしょうか。

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 お店のない壁面には不思議なショーウインドーがあります。いったいこれは売り物なのか? 誰が買うのか? 想像がつきません。さらには、狭い路地には軽トラックの路上駐車も見られます。ミニパトに追われて地下に逃げ込んできたのでしょうか。何かニューヨーク地下鉄の廃線跡のような雰囲気が漂います。

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 そして山下橋の出口付近には外国人向けの免税店が軒を並べます。切手や腕時計、扇子、和紙で作ったみやげものなどが狭い路地にひしめき合うように売られています。空港免税店の華やかな雰囲気とは対照的な「アジア」の空気を感じます。

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 この日は食事する店を決めていなかったので、山下橋から先はシャンテとガードの間にある通りを歩きましたが、実はその反対側、泰明小学校裏にも路地があります。しかしここから先は繁華街が近いこともあり、薄暗さこそ今までと一緒ですが、居並ぶ店舗にはどこかにぎわいがあります。まるで地下要塞のように、ガード下の壁面にお店への入口が並んでいるのです。この道は数寄屋橋のニュートーキョー脇までつながっています。この路地を抜けたあたりには長椅子・テーブルを並べた「ザ・ガード下」な店がひしめきます。

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 この日はミルフォードさんが電話で「ミルクワンタン」の席をキープしてくれたので、そのまま晴海通りを越えて、有楽町駅から鍛冶橋通りにかけての「昭和」も体験できました。東京国際フォーラムと宝塚1000days劇場跡地に挟まれたガード下はやはり太陽の光が入り込むことを許さないような不思議な空間です。とはいえ、こちらにも独特のにぎわいがあります。線路の向こう側には野瀬と僕とエミー隊員が新聞の投書欄に「ひどい店がある」と投書したくなったおしゃれなお店があるのですが、線路と線路の間の路地は僕らが安心して食べられる、飲める場所なのです。

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「ミルクワンタン」と野瀬と合流して向かったカントリー・バーでの模様は三林隊長のホームページに譲ることにして、僕のリポートはこれまで。うーん、飲んだ食った、余は満足じゃ――。


 東京に住んでいない人にはどこがどこやらわからないようなディープな地名や建物ばかりが出てくる。それくらいムズカシイところを探検したのである。私は「法曹界の4様」と呼ばれる弁護士と、身元を明かすわけにはいかないあるソシキに属する女性と3人でメシを食った後に、みんなで合流した。何をしゃべったのか酔っ払っていたので覚えていない。覚えているのは終電に間に合わなかったことだけである。

デスクびっくり 確かによく飲んでましたよね。でも僕は日比谷まで栗猫さんを送っていって、それでも地下鉄で帰れましたよ。どうやって帰ったの?

 本題。まずは懐かしい餅つきの情景から。

ご意見 最近はお餅を自宅でつくことは少なくなっていますが、私の嫁の実家(私の自宅の前の家なんですが)は昔ながらに臼と杵でついています。ついでに、もち米もかまど(“おくどさん”っていうそうですが)で薪をくべて炊いています。杵でついた餅はそのまま食べても雑煮に入れても、日にちがたってもよく伸びるし、やはりおいしいです。
 それで思い出したのですが、私の嫁のところでは丸餅とか鏡餅も手作りでつくりますが、少し塩を多めに入れて餅をつき、それを四角く形作る「ねこ」というものもつくります。猫が寝そべっている様子からその名前がきているのか語源がはっきりわからないのですが、それをチーズみたいに薄く切って油で揚げてせんべいみたいに食べるのです。一種の保存食みたいなものですね。ご存知ですか?
 餅つきは毎年12月30日に行い、私は杵を持ってペッタンコペッタンコとやっています。今年も行いますので、その「ねこ」の写真をとって送ります(明渡@奈良県さん)

野瀬註 田舎に住んでいた子どものころ、我が家でも裏庭で明渡さんのところのように餅つきをしていました。いつの間にか賃つきのおじさんたちがやってくるようになって、久留米に引っ越したら買うようになりました。思い出すのは今は亡き父が火鉢で餅をふたつ焼き、ひとつは砂糖醤油をつけて、もうひとつは納豆を包んで食べていた姿です。久留米は九州における納豆の飛び地、熊本に近いせいか昔から納豆に抵抗がなかったようです。

ここでデスク乱入 「ミルクワンタン」の納豆かけチャーハンは、意外な組み合わせに一瞬たじろきましたが、食べてみたら美味でした。ちなみに、「ねこ」とは「かき餅」の一種でしょうか? 我が家では暮れにのし餅を薄くスライスして干しておき、季節外れに油で揚げておやつにしていましたが、カマボコ型のかき餅もよく見かけます。スライスして「カマボコ」になる前のものがもしかしたら「ねこ」なのでしょうか?

野瀬 「ミルクワンタン」に昼飯食べに行ったと言ってたのは、これのこと? ふーん。
デスク いえ、これは晩飯バージョンです。昼に納豆はつきませんでした。


 餅が好き。こんなに好き。

ご意見 子供のころ、ほんとに餅が大好きでした。1年の餅食いのピークは元旦。一番食べた中学生のころは切り餅を1日に30個は食べていたと思います。雑煮(ラーメン丼のような器で食べてました)に焼いた餅を3〜4個入れ、お代わりを重ねながら朝・昼・深夜と食べていました。食事の合間にはテレビを見ながら、石油ストーブの上で焼いた餅を海苔で巻いておやつにしていました。
 高校生の終わりごろはさすがに量が減りましたが、「カップヌードル」の中に焼餅を入れて食べるのが一番好きでした。ずっと東京暮らしでしたので長方形の角餅で育ちました……昔、熊本の阿蘇あたりでは丸餅に納豆をくるむようにして食べると聞きました。九州の他地域ではあまり見ない食べ方だとか。九州における納豆のメッカ熊本らしいなあ、と思っていました。関東では納豆と餅はよく見かける組み合わせですよね。
 ところで、売場で「あんサンド」という商品を見つけました。杵つきもちの中にあんが入った風味豊かなおもち、というキャッチフレーズ。オーブントースターなどで焼いて食べます。なかなかイケました(ミルフォードさん)

野瀬註 あの、ちょっとうかがいますが、カップヌードルの中に焼いた餅を入れると、麺が餅に絡みつきませんか? それとも「力うどん」感覚でOK牧場? 今度やってみよう。
 それと亡父がやっていたのはこの阿蘇式食べ方です。亡父がどこで納豆を餅で包んで食べる方法を知ったのか聞いたことはありませんでしたが、やはり文化圏として近いので中・北部九州の食べ方なのかもしれません。
 ちなみに私は食育の一環として子どもに「餅は砂糖醤油をつけて食べるものである」ということを教えていますが、昨年の正月にちょろぎ1カップを1人で食べた二女は素直に親の言うことを聞いております。


 予定調和的に「納豆餅」が登場する。

京女さんからいただいた「納豆餅」とそのおかき

ご意見 「お餅」と聞いて真っ先に思いついたのは京都・北山杉の里である京北町山国地区の「納豆餅」。これは焼いたお餅に納豆をかけたというような軟弱な輩ではなく、最初から納豆を搗(つ)き込んだ剛の者です。オーブントースターで「表面が焦げてカリカリフワフワ」に焼いて、醤油をちょっとたらして食べると美味しいんですよ〜。
 何を隠そう、山国は「納豆発祥の地」だった!? 京北町には常照皇寺という桜の名所がありますが、その開山の祖・光厳天皇を描いた絵巻の中に、藁つとに包まれた納豆の姿があります。光厳天皇は納豆をこよなく愛され、平安末期より山国では納豆が常食されていたと言われています。そんなわけで、山国のお正月は納豆餅で三が日を祝うのが習わしでした。
 また、幕末には里人有志が「山国隊」を編成して鳥羽伏見の戦いに参戦し、官軍を助けて近代日本の夜明けにつくしました。納豆餅はその山国隊の郷土食として広く勤皇の志士たちに賞味されたと伝えられています。
 ほんまかいなとお疑いのむきもあるでしょうが、山国隊に真っ先に参加し、先祖伝来の山も田畑も全財産をつぎ込んだおっちょこちょいは私の曾祖父でした。なので、「関西人は納豆食べない」というのは京都ではそうでもないです(いけずな京女42歳さん)

野瀬びっくり  納豆を餅につき込むとはまた豪快な。全財産を山国隊につぎ込んだご先祖様も豪快です。京女さん、新年会で会いましょう。


 山国隊が登場したからという訳ではないが、「合戦」の話。

何ですか、これ(Martinさん提供)

ご意見 以前雑煮の餅のVOTEで、わが郷里山形の餅は焼餅が100%だったのですが、私の実家では焼くことはありません。ウチだけなのかもしれませんが。カタチは切り餅(角餅)です。庄内(日本海側)の酒田は丸餅だと聞きます。北前舟の影響で京文化が流入したためのようです。
 雑煮は鶏出しで具は鶏肉・サトイモ・ゴボウ・コンニャク・セリなどで、醤油味です。新潟市近隣では焼餅でなく煮るところも多いそうです。鮭やイクラ(=ととまめ)を入れるのが特徴です。
 山形のお餅で独特なものには「納豆餅」があります。つきたてまたは水・お湯で柔らかくした餅に納豆を絡めたものです。これも納豆ネタで以前触れられていたと思いますが。現在住んでいる新潟では食べないようです。
 さて、新潟市近郊の新発田市で1月15日に「全国雑煮合戦」なるイベントが企画されています。福岡・香川・京都・神奈川・千葉・群馬・福島からの参加があるようです。このほかにも市内店舗の創作雑煮の発表があるそうです。1回限りなのか今後も継続するのかはわかりませんが、ぜひ顔を出してみたいと思います(あがきた@新潟さん)

野瀬お願い 同じ県内でも角餅と丸餅が混在しているんですね。焼くところもあれば煮るところもある。山形の納豆餅は餅で納豆を包むのではなく絡めるそうです。
 で、あがきたさんにお願い。もしいらっしゃるのであれば全国雑煮合戦の模様をお知らせいただけませんか。特に各地の餅の形状、焼くか煮るかなどについてお知らせいただけるとうれしいです。

デスク膝をたたいて そうか、僕ら大阪ですもんね。


 納豆ついでにこれも。

ご意見 変り種の「餅」を発見、限定メニューですが「横濱カレーミュージアム」で正月元旦から7日まで、カレーを練りこんだカレー餅を供するとのことです。ありそうでなかったカレー餅食べてみたいものです……つけ汁(醤油ベースのようです)に薬味の大根と唐辛子の細切りを入れて食べるようです。どうせならつけ汁もカレー風味になっていれば面白いと思うのですが。行ければ行って食べてみようかな(島野さん)

野瀬お願いU それはぜひ行ってください。そして読者の皆さんにカレー餅のご報告を。それと島野さんからのもう一通のメールに「のし餅を注文するとき一緒に『ナマコ』も頼んでおり、これを厚く切ってよく干してからおかきとして食べました。最近、ナマコを見なくなりましたね」という一文がありました。ナマコといっても海のものではなく餅の一種のようですが、どんなものでしょう。私、初耳です。

デスク想像 もしかして「ナマコ」は「ねこ」と共通項? 


 今回、餅をテーマにした理由のひとつに、過去の学者の聞き書きや研究によって示されていた丸餅・角餅の境界線を検証するというものがある。すでに山形県内でも北前船の影響で丸餅になった可能性がある酒田の例が報告されるなど、一筋縄ではいかない問題ではあるが、ネットの力を信じて追求していきたい。

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ご意見 「切りもちと丸餅の境界線は糸魚川・静岡構造線辺りと言われてきたが、最近は変化が起きているのではないかとも疑っている」とありましたが、多分、随分と前からこれは違っていると思います。
 私は福井県人ですが、当地は丸餅で石川、富山は切り餅です。少なくとも雑煮にする餅はそうなるはず。
 福井でも具(大豆とか青のりとか小エビとか)を入れて焼き餅にする餅は切り餅です。それと、愛知の少なくとも尾張地方は切り餅です。
 雑煮だと福井は味噌味で丸餅を煮る。石川・富山は醤油味切り餅を焼く。尾張は醤油味で切り餅を煮るです。
 どなたがおっしゃっていたのかは忘れましたが、切り餅・丸餅の境界線は福井と石川の間であると聞いた覚えも確かにありますが、いかがでしょうか?(越前女さん)


 食べ物の境界線には糸魚川―静岡構造線近辺のほかに琵琶湖東岸ラインというものもあった。肉まん・豚まんの呼び方、いなり寿司は三角か四角かという境界線がほぼ琵琶湖東岸を走っていたことを覚えておられるだろうか。あるいは餅の形もそうなのか。それとも……。

ご意見 新潟のお餅といえば切り餅が定番だと思います……我が家のお正月は醤油ベースの豚汁に鮭の切り身を入れ具だくさんの汁を作り、その中に煮た切り餅を入れたものをお雑煮として食べていました。
 嫁ぎ先の福井のお雑煮は昆布出しの具なし味噌汁の中に丸餅が1つ沈んでるだけと言うものが一般的なようで、さみしい思いをしています(新潟出身福井在住主婦さん)


 新潟には豚汁に鮭の切り身が入った雑煮がある。福井の雑煮が味噌味というのは動かないらしい。と、雑煮の話ではない、餅の話であった。しかし、餅と雑煮は切っても切れない仲ではある。雑煮情報もどうぞ。

広東省の水産練り製品を使った「魚蛋湯河(ユィダーントーンホー)」(日野みどりさん提供)

ご意見 お餅といえばお雑煮のローカルルールの話はすでに語りつくされた観がありますが、それでもこの前驚きました。というか困りました。
 名古屋式お雑煮は角餅を焼かずに煮て入れるというのです。関東と関西でここまでの人生の半分ずつを過ごした者としては、「角餅を焼いて入れる」のでなければ「丸餅を煮て入れる」のだという2項対立にようやく順応し、これを内面化したところなのです。角なら焼く。丸なら煮る。このどちらかであるはずだったのです。
 それを、角餅を煮るとは。私はこれからの人生を、これへの順応に捧げることになるのでしょうか。ていうか、単にどっちかにしてくれー(日野みどりさん)


 そうなのである。久留米では丸餅を煮て雑煮に入れていたのに、「角餅を焼く」東京で生まれ育ったはずのカミさんは「角餅を煮て」雑煮を作るのである。だが、新潟出身福井在住主婦さんによると新潟でも角餅を煮るそうであるから、世の中は複雑なのである。

 我が家でなぜ餅は焼かずに煮るかというと、カミさんがオーブントースターを買うことに命懸けで反対しているからである。ビルトインのオーブンがあるのに、なぜ買う必要があるのかと主張してやまない。

 焼き網だって私は西友の2階で何度も買った。でも気がつくと流しの下の奥深くにしまわれ、さらに気がつくと捨てられているのである。どうしてか、焼き網が嫌いなようなのである。ガス台の魚を焼くやつは上から加熱するタイプなので、餅を焼くと上ばかり焦げて、火鉢でやるようにぷくーができないのが寂しい。

 で、どうしても焼きたいときはオーブンを予熱し250度くらいで様子を見ながら焼くことになるが、たかが餅1個のために多量のガスを消費していると思うと、何だが玄関の電気をつけるのにプラグを原子力発電所に直接つないでいるような気分になるのである。

 次のメールの意味は深い。

洋ちゃんというのは北海道では有名人、って誰が洋ちゃん?(ぺんぱらさん提供)

ご意見 北海道生まれ東京在住(といっても年末年始は実家に帰省するので東京で年越ししたことはありません)ですが、生まれてから年越しそばというものを食べたことがありません。そばが嫌いな訳ではありません。
 子供のころから、年越しは「お寿司(にぎり)」と決まっていて、それでみんなおなか一杯になるので、そばを食べる余地がなかったかもしれませんが、大人になるまで年越しそばというものの存在を知りませんでした。
 別に我が家が特殊だったわけではなさそうで、大晦日は(お寿司屋さんに)時間指定の予約をして待っていますが、忙しいのか遅れることが多いです。
 ほかに食卓にのるのはうま煮(世間で筑前煮といっているものとたぶん同じ)や茶碗蒸し、おせち料理の一部、なますとかです。いうまでもなく、茶碗むしには甘い栗が入っています(三月うさぎさん)


 伝承料理研究家の奥村彪生氏によると全国の正月料理で重視されるものは「年取り膳」「正月膳」「重箱に詰めた組重」「大鉢や大皿盛り」の四つに分類できるのだそうである。

 塩鯨が話題になった折、塩鯨は新潟では夏の食べ物だが北海道では年越しの食べ物であるというメールを紹介した。そして、今回の「北海道では大晦日に寿司など豪華な食べ物が並ぶ」というメールが来着した。つまりこれは「年取り膳」の風習であって、塩鯨もその仲間に入れてもらっているということであろう。

 年越しそばというのは、本来はきちんとした年取り膳をしつらえるべきところ、大晦日が忙しくてならない江戸の商家が簡単にそばで済ますようになったのが起源であるというから、別に北海道にまで伝播していなくてもいいのである。

 旧暦では、夜から1日が始まるとされるので、元旦は大晦日の夜からということになる。従って大晦日に年取り膳をいただくのが自然。

 久留米では何かというと「鉢盛り鉢盛り」と大騒ぎをする。正月も外注するときは鉢盛りであるからして、奥村氏のいう「大鉢や大皿盛り」文化圏ということになるのであろうか。

 この話は奥村氏があちこちで論じているが、手ごろなところではJR東日本の車内誌「トランヴェール」12月号でも紹介されている。いた、か。

 アジアの水産練り製品ついて中国情報が来着。いやインドネシア情報が3通もあった。次回、紹介する予定。が、年末の大津波、大変な被害である。情勢の推移を見て考えよう。 

 久留米の山田さん、本当に偶然の一致でした。そんなこともあるんですね。しかもご近所さん。私は2月初旬に予定されている「筑後うどん祭」に行くことにしています。偶然、お目にかかったりして。

ここでデスク乱入 僕も行きます。自腹で。

 筑後地方のうどんが立ちあがった。どう展開するか。折に触れ報告したい。

 2月中旬には恐らく秋田県横手市にお邪魔することになるだろう。発酵文化研究所の動きなどリポートしたい。

 さて、エミー隊員がこんな写真を撮ってきた。「どう、おわびしながら出すんでしょうね」としきりに考えていた。ついでながらこの店には「豚の三段腹肉」という単品メニューが存在する。誰ですか、自分のお腹を見詰めているのは。

デスクあわてて顔を上げて えっ、だれだれ?

 大勢でこの店に行った折、エミー隊員は「弁慶鍋、弁慶鍋」と連呼していたそうだが、「義経鍋」の誤りなので、彼女に成り代わって東京のお父さんこと私が訂正する。

 文化庁からファクスがきた。全国の雑煮の調査をしたいので協力して、という内容。アンケートに協力してもいいぞ、という方は文化庁HPをご覧ください。

 それでは皆さん、今年も頑張っていきまっしょい。

(文化部編集委員 野瀬泰申)

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